最高裁判所第一小法廷 昭和23年(れ)305号 判決 1948年7月08日
主文
本件上告を棄却する。
理由
辯護人元林義治上告趣意第一點について。
原審第一回公判調書によれば、該公判には大月和男檢事が立會い、更新後の第二回公判調書によれば該公判には岡崎格檢事が立會っている。しかるに、原判決においては、「檢事大月和男立會の上審理を行」った旨を記載しているのは、所論のとおり公判關與の檢事と異る檢事の氏名を判決に記載したものであって刑訴第六九條第二項に違反するものではあるが、かかる形式上の違法は刑訴第四一〇條に列擧している上告理由に該當しないことは勿論判決の内容自體に影響を及ぼさないことは明白である。論旨はそれ故に理由がない。
同第三點について。
原判決において、「先づ賭錢をその場に出し、次に花札を取り俗に飯田花という博戲に着手し」た旨判示する以上、花札を使用し偶然の事情により財物の得喪を爭う方法のものであること自ら明らかであるから、特に該博戲の方法を詳細に説示しなくとも、所論のような違法があるとは言えない。論旨は、理由なきものである。
同第四點、第五點について。
金錢を賭け花札を使用してする博戲において、當事者が既に賭錢をその場に出し花札を配布(たとえそれが、親をきめるためであっても)したときは、その博戲は実行の範圍に入ったものであって賭博罪に該當するものと言わなければならない。又原判決は、所論のように「博戲は未遂であるが習癖が認められるから常習賭博と斷定した」ものではなく、「博戲に着手し」実行の範圍に入ったことを認めると共に習癖が認められるから常習賭博と斷定したものであることは、判文上明白に窺い知られるところである。されば、論旨は何れも理由がない。
同第七點、第八點、第九點について。
賭博罪は、偶然の勝敗に關し財物をもって賭事又は博戲をするによって成立し、その結果として勝敗の既に決したことは賭博罪の成立に必要な事柄ではない。これは、国民の健全な風教維持のため賭博を刑罰制裁をもって禁止せんとする立法の趣旨から見て明らかなところである。所論のように、勝敗の決しない場合を総て未遂とし無罪とすべきものとすることこそ、むしろ社會の通念に反し賭博禁止の法の精神に戻るものと言わなければならぬ。それ故、賭博の着手をもってその実行の範圍に入ったものと解しこれを既遂とすることは、賭博罪の性質から由來するところであって、所論のごとくこれを罪刑法定主義に反するものと説くのは適當でない。さらに又、新憲法下において国民の自由と權利は尊重せらるべきは言を待たないが、さればといって国法において定める犯罪の構成要件を具備する者を既遂として處罰し、又賭博常習犯を加重的に處罰することは、法律上當然の處置であって、論旨のように賭博罪を寛大に處罰すべき新憲法の理念は、何處にも存在していない。
かかるが故に、論旨は何れも理由なきものと言うべきである。(その他の判決理由は省略する。)
よって、刑訴第四四六條に從い主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官全員の一致した意見である。
(裁判長裁判官 真野毅 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 岩松三郎)